鳥取藩の家老職について
 製作途中の暫定公開です。なにかありましたらご教示ください。

 鳥取藩初代藩主光仲により決められた職制は、時代を重ねるたびに肥大化した。最初、「着座」が11家あり、その中から家老を選び月番で藩の政治を実施していました。着座中、池田三家は、輝正公妻の実家荒尾家の増長を食い止めんと親族を起用した。更に、「証人上」が4家(福田・安養寺・菅・矢野)いました。「着座」と共に幕府に証人(人質)を出す家でした。家康没後五十年継続しました。藩士家譜によると、幕末には家老編として四十もの家を数えることになり、着座と証人上の間に三家入っている。証人上以上が計十八家だ。最終的にはそのあたりまで紹介したいと思っている。特に証人上福田家は、黒坂に陣屋を持っていたので。是非家譜を読みたいと思っています。

 藩主池田家は、輝正の死によって忠継と利隆とに大きく分割されて家老が其々に付く、鵜殿は光仲と血縁があり光政とはない。乾は淡路時代よりの家老なので引き続きなのだろうが、残りの家老は何故忠継側に付いたのか当時の状況は不明。でも養子のやり取りや、岐阜池田の長久手戦供養塔等、鳥取岡山両藩家臣の深い関係が見えてくる。

家格

陣屋

家名

墓所1

墓所 2

石高

着座

米子

荒尾

興禅寺

了春寺

15000

着座

倉吉

荒尾

景福寺

満正寺

11000

着座

八橋

津田

興禅寺

体玄寺

7000

着座

松崎

和田

真教寺

西向寺

5500

着座

岩美

鵜殿

妙要寺

鵜殿墓所

5000

着座

船岡

興禅寺

乾墓所

5000

着座

倉吉

荒尾

景福寺

満正寺

3000

着座

池田 (下)

広徳寺

法清寺

3000

着座

米子

荒尾

興禅寺

了春寺

2300

着座

池田 (山)

広徳寺


2200

着座

池田 (栗)

広徳寺

深広寺

2000

真教寺の和田家墓地は現在不明、興禅寺の (藩主家の)池田家、荒尾家、津田家墓地は手入れされず、倒壊したものもあり無残。

証人上の墓所が不明です、家譜を読ませていただき、其々個々方々の功績を知り情も通じ、是非墓参させて頂きたく所在をご存知の方、ご教示ください。尚、輝正の父はいろいろ呼ばれるが私は恒興が好きです。


荒尾家

 鳥取藩の着座 11家のうち 4 家を占める。他の着座家津田、和田、下池、山池にも養子を送り込み鳥取藩の政治を握った。

 知多半島西北部荒尾七ヶ村の地頭、荒尾氏は鎌倉幕府、室町幕府の奉公衆。藩士家譜には在原成平子孫とある。
 荒尾小太郎空善は、大野城の佐治家より善次を婿養子として迎え。荒尾佐治同盟を作り、織田の配下として今川に対抗し、荒尾郷南端の木田城(現在愛知県東海市の個人宅)を整備した。善次の娘は信長の弟の信時に嫁いでいたが、前の城主家臣に謀殺された。又その頃三方ケ原の戦いで、荒尾空善、善久などが討死した。
 未亡人となった善次の娘を、信長の乳兄弟 (信長の幼少時、池田恒興の母養徳院が乳母をしていた)の池田恒興に嫁がせる。
 恒興の次男輝正は幼名古新丸といい、荒尾の養子となり五歳で木田城主となった。しかし長久手合戦で父の恒興と兄の之助が討死にして古新丸は池田家の後継ぎとなり池田輝政と名を改めた。その後荒尾氏は成房と隆重との兄弟が池田氏に仕え、外戚として重く用いられた。

 現在、鳥取市新品治に移転している善久寺は、三方ケ原の戦いで亡くなった先祖を弔う為に建立された。以前は城北地区体育館裏にあった。この寺は、立川の椿谷と併せて牢獄として使用され。幕末より明治にかけて数年の間、長崎のキリシタンがこの地に送られ改宗を迫られた。そして多数の殉教者を出し鳥取県の幕開けに暗い影を落とす。荒尾家のダーティーな部分を垣間見る。

米子荒尾:池田家の筆頭家老職で米子城を預かり、「自分手」支配といい実効支配した。但し、米子城に関係する奉行は鳥取藩士であり、荒尾の家臣ではなく、米子荒尾は城主ではない。

倉吉荒尾:倉吉陣屋を政庁に、鳥取藩の組士四十人余と自分の家臣を常住させ倉吉町を支配した。寛永十七年に元光仲を初めて国表に迎えるため、江戸藩邸に向い翌年共に帰国する。藩主権力確立するために、老臣荒尾成利(米子荒尾)と摩擦対立の間に入り周旋に勤めた。晩年に、光仲は功を賞し、隠居料千五百石と合力米五百俵を与えられる。

米子荒尾分家及び倉吉荒尾分家:主家が藩主とともに過ごすため、分家が其々の自分手地の統治に当たった。


美坂守善次(佐治為頼六男)

米子荒尾

倉吉荒尾

米子分家

倉吉分家

但馬守成房

志摩守隆重







但馬守成利

志摩守嵩就



米子初代

荒尾成房次男倉吉初代



修理成直

志摩宣就


周防重就

但馬成重



荒尾嵩就四男

但馬成倫

美作秀就


式部修就


嵩就三男


松平甚三郎弟後本家

大和成昭

志摩勝就

備中成紹

大蔵仙就


松平隆欽二男

荒尾成直四男

松平甚三郎末弟

豊前成昌

和泉甫就

備後成庸

和泉甫就

荒尾備後成庸嫡男

永井尚附男

池田友政三男

永井内膳弟

近江成熙↑

志摩斯就

淡路成真

長門斯就

荒尾備後成庸次男

佐々長元二男


佐々長元二男

近江成尚

志摩厚就

伊折之助成胤

山城



備後四男

長山百助伯父

内匠介成緒

小八郎為就

平左衛門成方

千葉之助



淡路三男


但馬成裕

主計介世就

河内成孝

飛騨



荒尾近江成尚三男


廣実成富

志摩直就

左馬允成紹

主殿


荒尾美作隆就男

荒尾内匠弟


成文

光就

成章

恒就


荒尾恒就三男

備前士倉四郎兵衛次男




津田家

 藩士家譜によると、尾張の古木城主、丹波少将秀勝に仕え後、岐阜中納言秀信に仕える、慶長五年十月以降に輝政、忠継、忠雄、光仲と仕える。
 荒尾より養子が入っています。因みに歴史好きにとって津田=織田は常識なのか。私には良くわからないところだ。

@筑後元綱A将監元房B筑後元匡C周防元茂D将監元長E将監元善F周防元知(荒尾周防重就次男)G美作元武H亘元義I舎人元謨(荒尾近江成熙三男)J筑後元貞K石見元統(元貞弟)L筑後元亮(元統兄)M元(鵜殿藤輔長発二男)N健−女戸主



和田家

 藩士家譜によると、甲賀郡和田谷の出、秀吉の鳥取攻めに参加、信長より感状を受ける。最初恒興の客分、輝政の時家臣となり、忠継・忠雄以降家老として仕えます。 和田信且の娘かたは三木露風の母。西館より二人の養子を貰っている。ここにも荒尾の養子が。

@中祖八郎信雄A壱岐守正信B飛弾守三正(荒尾成房三男)C式部三信(荒尾嵩就二男)D式部真信E飛弾昭信〈乾安房嫡男で式部真信孫)F遠江時信(木下嗣時二子)G新助定信(別封松平定就弟で松平定賢次男)H左門信之I助八郎信成J豊前信古(別封松平仲律弟で仲雅二子)K鉄之丞信元L邦之助信旦(鵜殿藤次郎二弟)M信実(豊前信古二男)



鵜殿家

 藩士家譜によると鵜殿家は忠継・忠雄の生母良正院の母(家康の側室)の実家。藩主とは明確な親戚筋になる。輝政の死後、良正院の叔父長次が招かれ忠継・忠雄、光仲と仕える。幕末期に浦富御台場を鵜殿長道が築造した。鵜殿家の遠祖は紀州新宮鵜殿村にさかのぼる。とのこと。

@大隅守長次A大隅守長之B大隅守長定C大隅守長春D民部長親(鵜殿三郎長政四郎)E大隅守長民F縫殿助央尭(松平仲央三男)G藤告衛門政長(備前池田中務少輔弟)H大隅守長春O信濃守長世J藤輔守長発K長道



乾 家

 藩士家譜によると信輝以降仕え、忠雄が淡路藩主になった時に守役となって以降の家老。鳥取東照宮の土地を御茶屋として持っていたが、東照宮建立の為替地に船岡を貰い。自分手地とした。東照宮造営に参加した左甚五郎が船岡の寺に波に兎の彫刻を残している。興禅寺の墓所は、鳥取藩家老の墓所の中でも一番美しいと思う。

@平右衛門A甲斐守直幾B甲斐守長義C安房知長D甲斐豊長E平右衛門長孝F(備前池田隼人弟)G甲斐長徳H筑前長胤I八次郎長明J雅楽之助徳脩K徳(鵜殿主水介弟)



池田家(下池)

 輝正−利政−政信−大蔵と続く親族家老、荒尾の養子が二代で入っている。

@大蔵和利A筑前(荒尾成直次男)B隼之助知至(松平仲澄四男)C大蔵利泰(備前藩日置伊右衛門男)D多仲利久(松平仲英四男)E兵衛利仲F大蔵G式部利寿H利安



池田家(山池)

 池田直系の血筋、長久手で討死にした紀伊守之助の孫之政は、元和3年米子に生まれ、寛永9年に備前へ移る。正保元年に鳥取藩主池田光仲に招かれ、光仲に仕えることになる。之政の嫡母は蜂須賀家政の娘で、光仲の母が蜂須賀至鎮の娘である。之政の兄弟は、備前池田、阿波蜂須賀の家老を其々勤めた。ここにも荒尾が、、、

@日向之政(池田由成男、由成は之助嫡男)A日向之信B日向之成(池田吉左衛門男)C日向之寿D能登之茂(松平定賢男)E日向之昌F(荒尾伊折之助弟)G能登之純H兵庫介之貞I之徳



池田家(栗)

 池田加賀守系の一族、光政の統治では浦富桐山城主だった加賀守男、余談であるが桐山城下、館の建築には垣屋播磨守の霊障があり、一族多く死去したと民談記にあり、後に鳥取藩家老として執務中に不祥事を起こし、一時着座家を追われ幕末復活している。

@図書政広A左内政武(福田兵部七男)B善助政令(福田兵部六男)C極人政直D図書政元E五百記政林(善助四男)F極人政長G求馬之助H太司馬(横河一学弟)I弁之丞J主書介(池田兵庫介頻父)K政実L悦吉(池田雄吉長男)



参考図書
近世鳥取藩の城下町
因幡の古城跡 1
因幡の古城跡 2
因幡の古城跡 3
近世鳥取藩の陣屋町
鳥取藩史1世家・藩士列伝
鳥取藩史2職制志 禄制志
鳥取藩史3 軍制志 学制志 儀式志
鳥取藩史別巻図版 歴代藩主画像 筆跡 既刊補遺 系譜 人名索引
因州藩鳥取池田家の成立
件名:船岡町−歴史 船岡町−地理
藩士家譜  家老編